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白いスニーカーを履いた男が、カウンターの真ん中でウイスキーを飲んでいる。グラスぎりぎりの大きさの氷が 溶けるのを楽しむように時間をかけていた。
少し飲むたびに、への字になる口元。その度に、まわりのヒゲが90度立ち上がる。
ヒゲを立ち上げる男は、グラスをひとさし指でピピッと指さし 3杯目を頼んだ。
「お願いね。 ・・氷、このままで大丈夫よ」
「今、人が引いてるから。グラス変えさせてもらいます、ありがとう」
ガツガツと氷を砕く音がする。ビールや混ぜ物を飲む人間の多い 黒毛の酒場では聞き慣れない音だ。
手持ち無沙汰にナッツを摘まみ、ヒゲを上下させながらマモル君に話しかけてきた。
「良い店ですね。看板 見て入ってみたんです」
「あぁ、あの看板。変ですよね。あれ見て入れるとは、なかなか変わった方かと。だれかに聞いたんですか?この店」
珍しく初対面の人間に饒舌に話す。どうやらヒゲを立ち上げる男を気に入ったようだ。
「ははは、そうかもしれませんね。変わっているかもしれません」
笑いながら足を組み直すと、軍隊で見かけそうなトレーニングシューズの先がこちらに向いた。
「仕事でこっちに来てるんですが、たまたま通りかかっただけなんですよ。いい感じの店で飲むのが好きでして。趣味みたいなものです。」
「いやぁ・・変な店ですよ、つまみがチョコレートしか無い日もあるし。」
「ははっ。そいつは良い。ウィスキーボンボンを思い出しますね」
談笑する2人をよそに、黒毛は気配を消しているようだ。話題に酒場の話が出ると、いつもなら割いって来るのだが。
「いや楽しかったよ。明日早いので、そろそろ」
ヒゲを立ち上げる男は 両手の指先でバツを作ると、カウンター下からバッグを取り立ち上がった。
「常連さんですよね。また寄らせてもらいます。えーっと、おふたりは恋人・・かな?」
すると気配が無かった黒毛が、話を断ち切るように
「違います」
と早口に言いながら小さい紙をカウンターに置いた。酒代が書いてあるのだろう。
「はは、失礼。お美しい店主なので、確認しないとね」
ニッコリと笑いながら金を渡すと、白いスニーカーをぺたぺた鳴らして店を出て行った。
二人きりになった酒場に沈黙が続いた。
「もう閉めるんだけど」
不機嫌そうに黒毛が言った。
グラスに残った酒を飲み干すと、マモル君はポケットからカギを出しカウンターに置いた。
「これ、家のスペアだから使って。」
一言を絞り出し、ドアに向かう。
開けて出る前に立ち止まり、半分振り返ったが、言葉を選べず うつむいて出て行った。