小説

俺はインディゴ名前はまだない(37)

beans

 

37

 

新しい家に着くとそれはもう丁寧な扱いを受けた。いままで経験したことが無いほどだ。

汚れを細やかに落とされ、熱い板で凜と引き延ばす。その過程の中で隅の隅まで俺を見つめる。ニックが付けた膝のすり切れだけでなく、衣類になるために通された糸の穴まで見る人間は初めてだ。

そんな扱いをうけた数日後に俺の解体がはじまったワケだが、少しの不安はあったものの悪い気はしなかった。なんと、衣類から衣類に生まれ変わったのだ。

昔、派手色サックスパンツに言われたとおり俺は運が強いのだろう。そして肝っ玉も小さいのかもしれないが、不安を捨ててしまうというのは死んだように生きる事ではないか。記憶の底で積み重なっている過去の体験の上に、今と未来が天秤に乗っている。その揺れ動く天秤を見て俺が感じることを、俺が受け取って過ごす。受け取る度に過去が変わっていくのを未来で知る。こうやって俺は生きているのだ。

 

「すごい存在感ですね」

メグの部屋にときどき来る黒ぶち眼鏡の男が言った。生まれ変わった俺の事を言っているようだが、男の真っ直ぐに揃った前髪と太い眼鏡の枠こそ、生まれ持った顔の原型を打ち消す存在感がある。

「わかりますか? 埋もれていても場所がわかる服って有りますよねぇ」

トモが答えた。まだ出会って間もないが、メグが言うように賢いのかもしれない。面白い視点で衣類を見ている人間だ。

「ハウスブレンドにしたけど大丈夫でした?」

黒ぶちの男は袋をテーブルに置くと、中からフタの付いたコップを取り出し並べる。ぬるりとした熱気と共に、コーヒーとプラスチックの香りが部屋中に漂う。

「いつもありがとうございます。どうしても作業場が足りなくて、事務所らしい場所も借りなければとは考えているのですが……」

「いえいえ。僕は期待してますからねぇ、大金持ちになったらお願いしますよ。」

太い眼鏡の枠でも隠しきれない油ぎった肌が、笑うたびに光を集めて煌めく。

「うふ、藤原さんったお上手ですね。ありがとうございます。」

朗らかな雰囲気ではあるが、何かと忖度する会話の多い家だ。前の家ではおもんはかる方だったメグさえも、ここでは素直な部類の人間に見える。

「ただいま。あ、こんにちは。」

「佐々木さん、今日も一段とお綺麗で。お先いただいてますが、コーヒーいかがですが。」

「ありがとうございます。」

外から帰ってきたメグは、大きな肩掛けカバンを床のその辺りに置いてイスに腰掛けた。

「いや、本当に芸能界は興味ないんですか? これから来ますよ、佐々木さんみたいな、何というか、そのお綺麗な方が。」

「ははは。」

メグは仕事の時間、全く目が笑っていない笑い声を出すことがある。他に考えがあるのだろう。こんな会話が1時間ほど続いた。

 

「つい長居してしまいました、申し訳ございません。では、よろしくお願いいたします。」

「はい。では伝票は藤原さんの方に送ります。いつも足を運んで下さってありがとうございます。楽しかったです。」

 

2週間後、俺は段ボールに詰められた。

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